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治療院ストーリー

pv14怪我や体の痛みで、思い切り運動できない辛さを体験しました。
慢性疲労や体の不調で思うように職場で働けず、「このまま社会人として仕事をやっていけるのだろうか」と将来を本気で不安に思い、悩みに悩んだ時期がありました。
自分の怪我や体調と向き合わざるをえなかった実体験を通して、「自分と同じような苦しみや辛さを味わっている人を助けたい!」という強い決意を持ちながら、患者さんと向かい合う毎日を過ごしています。
少々長い文章ですが、私と当院のストーリー、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

を五体満足で、健康な体に生み、愛情をかけて育ててくれた両親に感謝します。そして、今の自分を形成している全ての出会いと経験に感謝します。

【サッカー三昧の日々】

私がこの治療業界で働くようになったのは、当時地域的にサッカーが盛んだった静岡で、幼稚園の頃からサッカーを始めたことが一つの理由です。最初は下手くそで最低ランクのクラスに振り分けられ、それが悔しくて「絶対うまくなってやる!」と子供ながらに決心し、一人で毎日ボールを蹴っていました。その甲斐あってリフティングだけは誰にも負けないくらい上達しました。それ以来、小学校・中学・高校とずっとサッカー部。小学校四年生の頃、父親の仕事の転勤があり、泣く泣く静岡の小学校から岡山の小学校に転校しました。転校先の小学校はサッカー部がなかったのですが、地域のサッカー少年団を探して入団し、ますますサッカーにのめり込んでいきました。

小学生の頃はサッカーの練習中、スライディングをされ、足首をはく離骨折。中学生の頃は膝や踵に成長期特有の痛みが慢性的にあり、思い切り走れない悔しさを抱えながら運動をしていました。大学生の頃は、試合中、足を蹴られて腓腹筋(ふくらはぎ)を断裂し、初めての手術と1週間の入院。退院した後はしばらく松葉杖生活を余儀なくされました。「サッカーは格闘技」と言われるほど、接触プレーの多い、激しいスポーツで、怪我の絶えない青年時代を過ごしました。その時期に自分の怪我や痛みと向き合った経験から、「子供たちに怪我や痛みなく、思い切り大好きなスポーツに専念させてあげたい」という気持ちが生まれたような気がします。

高校サッカー部引退後は、同じサッカー部で仲がよかった友人に触発され、早稲田大学現役合格を目標に猛勉強。睡眠時間以外はずっと机にかじりついて勉強していました。1日12時間以上の勉強を続けた集中力は、今振り返ると自分でもよくやったなぁと感心します。

【早稲田大学現役合格!】

story02その努力の甲斐もあり、高校卒業後ストレートで早稲田大学に入学。大学入学後、「サッカーはさんざんやり尽くしたから、サッカー以外のことをしよう」と決めて、半年ほど、演劇、アカペラ、ギター、テニス、などいくつかのサークルを掛け持ちしてみたはものの、やはりどこか満たされず、結局やりたくなってサッカーに復帰(笑)。

大学在学時に友人たちと東京都リーグのチームを新しく立ち上げ、四部リーグ優勝、三部リーグ優勝と毎年昇格を果たし、二部リーグでプレーするまでになりました。社会人三年目まで、その東京都リーグのサッカーチームに所属し、元Jリーガーもいたりする中で、念願の天皇杯予選にも二度出場することができ、サッカーを思い切り楽しんでいました。筋トレもガシガシやっていて、今より体重も10kg近く重かったのですが、かなり激しくプレーしていたので怪我も絶えず、試合の度に自分の足首にテーピングを巻いていた日々が懐かしいです。

【鍼灸整骨院との出会い】

SA310010サッカーを現役引退した後、大学卒業後に入社したIT会社で仕事をしながら「ここで仕事を続けていて、10年後の自分は後悔しないだろうか?」と自問自答し、数か月間悩んだ末に思い切って退職。福祉に関わる仕事をしたくて転職した職場は、毎晩オフィスから駅まで走って終電に滑り込み、休日出勤も当たり前の激務。その頃から原因不明の体調不良に陥り、朝早起きするのに苦労したことがなかった自分が、毎朝起きるのがしんどく、毎朝、前日までの疲労を継続・蓄積しているような、ものすごい慢性疲労感に悩まされていました。何とか体調を回復させたくて、大学病院、睡眠外来、心療内科など、様々な医療機関に足を運び、それでもはっきりとした原因が見つからず、一時は「これ以上、社会生活を続けていくのは無理なんじゃないか?」と真剣に思い悩むほど、自分の体調に不安を感じながら過ごしていました。

「このままでは本当にやばい」と思い、自分の体調を回復させることを最優先に退職。アルバイトや派遣の仕事をしながら過ごしていましたが、「仕事を休職して、少し気分転換をしよう」と思い、以前から住んでみたかった憧れの京都に滞在。(ちょうどこの時期、マクロビオティックなどの自然食や健康食、天然酵母のパン屋さん巡りがマイブームでした)

京都で過ごしながら、「さて、これからどうしようかな」と、今後のことを考えながら過ごしていた時のことです。自転車をこいでいた道すがら、ふと目に止まった鍼灸整骨院。そのまま通り過ぎようとしましたが、なぜか妙に気にかかる・・・。気付いたら、Uターンして、その治療院のドアを開けていました。以前からスポーツや医療に関わる仕事に興味があり、医療福祉系の専門学校見学や病院のリハビリ現場の見学などに足を運んだりもしていたのですが、この日をきっかけにとんとん拍子で話が進み、この治療院で働くことになったのです!今から思うとすごい急展開です。実はそのタイミングで、水泳スクールのインストラクターの内定も頂いていたので、どちらにしようか二択で迷っていたのですが、治療院での仕事をやろうと決断した2週間後、その水泳スクールが入っていたビルが取り壊されていたのにはびっくりしました。

【仕事、専門学校、二足のわらじ生活】

story04実際に治療院での仕事を経験しながら、職場の先生方と様々なお話をする中で、鍼灸の専門学校への入学を決意。その治療院で働き出して半年後、「仕事をしながら専門学生として勉強する」という二足のわらじ生活がスタートしました。朝は治療院で働き、午前診療が終わると同時にバイクで専門学校に向かい、急いで昼食をとってそのまま授業へ突入。授業が終わると同時に治療院へとバイクを走らせて午後診療。日曜日も診療で休日もほとんどなし。帰宅が深夜になり日付を回ることもよくありました。心身ともにハードな毎日でしたが、今ではとてもいい思い出です。戦友ともいうべき職場の同僚たち、素敵な患者さんたち、一緒に机を並べて勉強した専門学校の友人たちとの出会い。京都での三年半はとても充実したものでした。

治療院で働き始めてから、整体や鍼灸の治療を自分も受けるようになったり、本やセミナーで健康に関する勉強をしたり、体力をつけるために比叡山を走って登ったりしているうちに、私の体調も徐々に回復していきました。患者さんの心身の辛さを、自分の体を通して勉強させて頂いた、本当に貴重な経験でした。

【師匠、花谷先生との出会い】

story05話は戻りますが、京都の治療院でお世話になっていた院長先生が「治療家になるなら、一度は三軸修正法に是非触れてきなさい」とおっしゃってくださった一言が、新しいご縁の始まりでした。(三軸修正法という考え方は、池上六朗先生という方が創始者で、私も毎週木曜にその池上先生の勉強会に参加し続けています)その後、私が初めて参加した三軸修正法のセミナーを、後に私の恩師となる花谷先生が主催していらっしゃったのです。花谷先生は日本全国の治療院の院長先生を対象に精力的にセミナー活動を展開されている憧れの先生でもありました。いつしか「花谷先生と一緒に働きたい!花谷先生から学びたい!」と考えるようになり、ダメもとで思い切って「縁トリー」。その後、採用試験を兼ねた花谷先生のセミナーへの参加。セミナー開始前の準備時間、私に落ち度があり、花谷先生に強烈なお叱りを受け、号泣し嗚咽するという事態になりながらも、何とか仮採用。実の父親にもこれほどの勢いで怒られたことがなかったのですが、花谷先生の本気と愛情を骨身に染みて感じたこの出来事は、一生忘れられない経験になりました。

【国家資格合格!埼玉へ】

story06国家試験にも一発合格し、鍼灸師の資格を取得!専門学校を卒業と同時に京都から花谷先生の待つ埼玉に引越し。新しい職場では、花谷先生や上司の求める基準になかなか至れない自分に悔しくて、何度もくじけそうになりましたが、花谷先生のいるバランス研究所と鶴瀬にある提携グループ接骨院にて、厳しくも愛情たっぷりの指導と公認を得て、業界注目のバランス整骨院に勤務。その後、延べ2万人以上もの患者さんたちの治療をさせて頂きながら、副院長として3年半勤め上げました。
story07バランス整骨院は週刊文春に優良治療院として掲載されるまでに成長し、お陰様で地域No.1治療院として、地元の方々を中心に非常に支持して頂き、待ち時間が2時間、3時間という場合も日常茶飯事でした。

この時期に、結婚、娘の誕生など、人生の大イベントを立て続けに経験し、職場のスタッフはじめ、家族、親族、友人、患者さんなど沢山の方々に祝福して頂いたことはとても嬉しく、いい思い出になりました。

【フルマラソン完走】

story082012年11月には、人生初のフルマラソンにも挑戦!何とか目標タイムをクリアし、3時間43分で完走することができました。埼玉の職場では常に高い基準とチャレンジを求められ、フルマラソン以外にも、バンジージャンプ、ラフティング、滝行、座禅などのアクティビティも沢山経験させて頂きました。連日の診療、セミナー活動で心身ともに極限状態まで追い込まれることもありましたが、職場スタッフのサポート、何より妻の優しさと娘の純粋な笑顔にも救われながら、無事「卒業」という形で入社当初に予定していた通りの時期に退職することができました。

【バランス卒業、独立開業へ】

退職後は、息をつく暇もなく毎日深夜まで治療院の開業準備に奔走。何十箇所と候補地の物件を内見し、延々と街を歩き回り、これまた様々な経緯があるなか、今の治療院の場所と出会うようになりました。当院の場所、江東区は私も妻も、大学時代からの友人が多く住んでおり、とても安心できる土地です。妻も木場に住みながら、徒歩圏内にある職場に通っていた時期があったのですが、実は毎日通勤でこの治療院のマンション目の前を歩いていたそうです!その話を聞いた時は「ご縁だなぁ」とひしひしと感じました。

story09開業準備と同時期に埼玉から江東区へ住居の引越しもあり、本当に慌ただしい毎日を過ごしましたが、それでも何とかこのような形でこの治療院を独立開業することができました。開業当日にはこれまでご縁があってお世話になった多くの方々から立派な胡蝶蘭や綺麗なお花、観葉植物など、沢山のお祝いを頂き、狭い治療院はお祝いの品々であふれかえるほどになりました。私が勤務していた埼玉の治療院に通って下さっていた患者さんが2名も、開業当日はるばる2時間かけて当院に足を運んでくださり、お祝いをしてくださったことも本当に嬉しかったです。見えないところで、このように沢山の方々に支えて頂き、応援して頂いているのだなと改めて感謝するしかない、忘れられない1日になりました。紆余曲折ありましたが、改めて自分の半生を振り返ってみると、全ての出会いや出来事は偶然の積み重ねのように見えて、全て必然だったのかなと思います。
story10人との出会いは一期一会と言いますが、治療院との出会いも同じだと思います。ご縁あるあなた様にとって、これから「西村バランス治療院」が元気の源となれるよう、整体治療、はり治療を通して、全力でサポートさせて頂きます。

開業にあたり、ある先生から「子育てと同じく、じっくりと愛をかけて治療院を育てていって下さい」というメッセージを頂きました。娘のことを思いながら、本当にそうだなと感動しました。頂いたそのメッセージの通り、当院を地域の方々に気軽に通って頂ける居心地の良い温かい治療院として、愛情をたっぷり注ぎながら育てていこうと決意しています。
私と西村バランス治療院を、これからどうぞ宜しくお願い申し上げます。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。 今度はあなたのマイヒストリーをお聞かせ下さい。

nishismura

 西村バランス治療院  院長 西村徳啓

院長西村についてもっと知りたい方はブログを読んで頂ければ嬉しいです!

 西村ブログ→ http://blog.livedoor.jp/norizaru1023/

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